2012年6月4日月曜日

バランスシート不況論の欠陥

日本記者クラブのサイトで興味深い文書を見つけた。

「バランスシート不況」を知ろう 野村総合研究所 主席研究員 リチャード・クー (2009年1月25日)

私は以前から「バランスシート不況論には欠陥があるのではないか」という懸念を抱いてきたが、この文書を読むことで、その印象はさらに強くなった。


ご存知の通り、バランスシート不況論とは、資産の暴落でバランスシートを悪化させた企業が、負債の返済に集中するあまり、お金の借り手がいなくなり、経済が収縮することによって不況が惹き起こされるという考え方である。

日本では、1991年のバブル崩壊がそれに当たる。

リチャード・クー氏は、バブル崩壊後も、日本のGDPがバブルのピークを下回っていないことを評価している。
1500兆円も富を失って、企業があれだけ借金返済をやっていて、どうして日本のGDPは落ちなかったのか?
これこそ日本経済の七不思議ということになるわけですが、これには立派な答えがあるのです。
それは、この間、政府が金を借りて使ってくれたということであります。
河村市長が市債や国債の発行に前向きであることを考えれば、市長もこの考えに賛同していることは容易に想像がつく。


しかし、私はこの考えに疑問を抱いている。

確かに、政府がお金を借りなければ、日本のGDPは大きく落ち込んでいただろう。
そうなれば、企業の借金返済はもっと困難だったと思う。
企業のバランスシートはキレイになり、利益も出るようになった。

しかし、その代償として、国のバランスシートは著しく悪化し、壊れてしまった。

私には、「民間に借り手がいないから、政府が金を借りて使うのだ」という主張が、「企業のバランスシートをキレイにするために、政府は国のバランスシートを壊します」という開き直りに聞こえる。

バブル崩壊で壊れた企業のバランスシートをキレイにするために、政府が国のバランスシートを壊す。
では、政府によって壊れた国のバランスシートは、誰がキレイにするのか?

前述の文書でリチャード・クー氏は、このように述べている。
彼らが借金返済していけば、必ずこの問題はどこかで解決する。
解決したときには、今度は立場を変えて、そのときは政府側に大きなバランスシートの問題があるわけですから、今度は政府が財政再建をさせていただく。
そのときには、民間は積極的にお金を借りて使ってください

この主張は実現するだろうか?
長く苦しい借金返済の時代を経験した経営者が、積極的に借金をするようになるだろうか?
財テクや積極経営に懲りて、地道に無借金経営を目指すのではないだろうか?

リチャード・クー氏は、この疑問に次ように答えている。
大恐慌を経験した当時のアメリカ人、あそこで借金返済をやらされたアメリカ人は、死ぬまで借金しなかったそうであります。
そのくらいトラウマがひどかったんですね。
だから、いまでも90才とかいう年配の方、大恐慌を憶えておられる方はたくさんいますけれど、もう死ぬまで借金はしない。
あまりにもあのときの経験がひどかったということであります。
やはり、「バランスシートがキレイになれば民間に借り手が現れる」という主張は、楽観的すぎるようだ。

世界大恐慌の場合、アメリカの金利が元の水準に戻るまで30年かかったという。
それは借りなくなった人が借りるようになったんじゃなくて、そういう人たちが引退して、若い人、つまり借金返済を知らない人が経営者になったから借りるようになったんだࠈうと思います。
そのくらいこの問題は深刻なんですね。
リチャード・クー氏は後半の質疑応答で、このように述べている。
なぜ、冒頭の講演部分ではこの点に触れなかったのか。

日本はバブル崩壊から、まだ20年余りしか経っていない。
借金返済を経験した経営者が引退するまで、10年近く残されている。
いや、世界大恐慌時からの平均寿命の伸びを考えると、彼らが引退するまで20年掛かったとしても不思議はない。

日本の金利水準が、バブル崩壊前の水準に戻るまで、日本政府は金を借り続けなくてはならない。
その期間は短くて10年。場合によっては、さらに伸びることもある。
日本の財政は、それを支えることができるのか?

そもそも、借金返済を経験した経営者が引退し、若い人と世代交代をしても、借り手が現れるとは限らない。
現代の若者は、消費に対して積極的でない。
彼らが経営者になった時、積極的に借金をするだろうか?

国内市場そのものも縮小傾向にある。
金を借りて会社を大きくするより、堅実で地道な無借金経営を目指すのではないだろうか?

日本の財政は危機的状況にある。
社会保障費の負担の増える一方である。
現役世代・将来世代は、すでに多額の借金を背負わされている。
この状況で、好き好んで借金をするだろうか?

「日本政府はあてにならない」
「年金制度も信用出来ない」
「失業保険も役に立たない」
多くの国民が、これらの不安を感じ、消費を控え、借金を返し、貯金に懸命になっていると思う。

人々の意識を貯金から消費へ転換するには、これら不安を解消することが不可欠だろう。
社会保障改革を棚上げにしたまま、財政再建を先送りすることは、「借り手不在」に拍車をかけるだけではないだろうか。


日本政府は多額の国債を発行している。
金利が安いのに、これだけ売れるということは、借り手不足がそれだけ深刻であるということだろう。
「堅実に事業を営んでいる優良企業が、そこそこの金利でお金を借りてくれるなら、こんなに金利が低い国債なんて買わないのに」
これが投資家の本音ではないだろうか。

近い将来、日本の財政破綻がいよいよ現実味を帯びてきて、「国債は危ない」「これ以上日本政府に金を貸せない」となった時、日本はどうなるのか?

民間には借り手がいないし、日本政府は金を借りられない。
そうなった時、日本のGDPは大幅に下落し、本物の大不況がやってくるのではないだろうか。


『日本はバランスシート不況に陥っている』と主張するのは構わない。
『バランスシート不況が世界各地に飛び火している』という主張も一理ある。

だが、バランスシート不況からの脱却を大義名分にして、無秩序な国債発行とポピュリズムを拡散するのはやめてほしい。

■バランスシート不況に対して、広く薄い減税は効果がないこと。
■財政出動はGDPの下支えになっても、借金拒否症の改善にはつながらないこと。
■借金拒否症の改善には、世代交代が必要であること。
■世代交代が実現しても、将来世代が積極的に借金をする状況にないこと。

これらの「不都合な真実」に目をつぶるのは許せない。

2012年4月1日日曜日

減税日本新政会へ送信したメール

減税日本新政会に送信したメール。




減税日本 新政会各位

ツイッターでの呼びかけに反応をいただき有り難うございます。
お言葉に甘えてメールを差し上げます。
新会派設立直後でお忙しいと思います。
個別に返信をいただくことは期待しません。
皆様の議論に一石を投じることができれば、と思います。

市民税10%減税に対する減税日本新政会の考えをお聞かせください。

平成23年9月定例会において山田まな市議は、減税には4つの意義があると主張しました。
  1. 行革のための減税
  2. 経済政策としての減税
  3. 住民自治と寄附文化を醸成するための減税
  4. 納税者への感謝の気持ちをあらわす減税
私はこれらすべてに反論があります。

少子化による税収不足と高齢化による社会保障費の増大によって、国と地方自治体の財政は逼迫しています。
これは日本中の自治体が直面する問題であり、将来さらに深刻化する問題であります。
名古屋市が同様の認識を持っていることは、公式サイトで公開されている様々な資料から読み取ることができます。
名古屋市の職員は、相当な覚悟と危機感を持って、行政改革に取り組んでいる、という印象を私は持っています。

名古屋市には、市民税の10%に相当する行革の余地があるとお考えですか?
その根拠をお聞かせください。


河村市長は、「減税というスローガンであればこそ、市職員の行革意欲が高まる」という主旨の発言をしています。

名古屋市の職員は減税のための行革には協力的だが、それ以外の行革には非協力的である、とお考えですか?


河村市長の予算編成は、市民税10%に相当する財源を聖域化し、残りを各局に配分する方式です。

聖域化の対象を、社会保障の拡充、景気対策、防災対策、財政健全化などにしない理由は何ですか?


名古屋市は、行政の裁量のなかで、滞りなく実施できる行革には、十分な取り組みをしていると、私は思っています。
これ以上のシーリングは、小手先の数字合わせや行革の名を借りたサービスの低下につながると思います。

配分型予算編成のなかで、一括シーリングを行うことについて、どのようにお考えですか?
予算編成のあり方を変えるつもりはありますか?
「役人丸投げ」という河村市長に対する批判をどのように受け止めますか?

行政の裁量のなかで実施できる改革をやりきった後は、政治の決断、政策の取捨選択が必要になります。
政策の取捨選択は、その政策を頼りにしている人からみれば行政サービスの低下です。
「行政サービスは低下させない」という、市長選のマニフェストに触れることになります。

減税日本新政会は、政策の取捨選択に踏み込むのでしょうか?

その場合、どのような政策を残し、どのような政策を切り捨てるのか、お聞かせください。
(もしかして会派の統一はせず、是々非々で望むのでしょうか)


リーマンショック、震災、タイの洪水、豪雨被害・・・。
名古屋市の財政運営を厳しくする予測不可能な外的要因が毎年のように発生します。
そのたびに補正を組み、市債の発行を許可していては、プライスキャップに対する危機感が薄れてしまうかもしれません。
意図的に甘い予測をすることはないと信じますが、希望的観測から結果的に予測が甘くなることを危惧します。
市当局が作成した財政収支見通しをそのまま採用することは、緊張感を欠くと思います。

市当局が作成した財政収支見通しをどのように検証するおつもりですか?

予測不能な事態が起こることを想定してマージンを残した予算編成をしてはいかがですか?


河村市長のもと、名古屋市は市債の発行残高を増やしました。
私はこれを『ムダ使いをやめさせようと、こづかいを減らしたが、クレジットカードは使い放題』と風刺しました。
「使い放題」が行き過ぎた表現であることは理解していますが、
財政健全化の取り組みが後退することを、強く懸念しています。

市債の発行に関する考えをお聞かせください。

市債の発行残高を減らすつもりがあるのか、また、その時期や方法についてもお聞かせください。



減税は税金の一部を市民に返し、消費を刺激する経済政策、景気刺激策だと言います。
であるならば、エコカー減税、エコ家電減税、エコ住宅減税のように、減税額以上の消費を促す減税をするべきです。

なぜ一律減税なのですか?


景気を刺激することが必要であるならば、財政出動がもっとも効果的だと思います。
しかし、減税を実施している地方自治体は市債の発行に条件があります。

減税が財政出動の障害となっていることを、どのように受け止めますか?


河村市長は、「景気を刺激し経済を活発にしなければ、都市経営などできない」と言います。
経済を活発にして税収が増えれば、役人が使えるお金が増えてしまいます。
せっかく手にした行革のエンジンをみずから手放すことになります

「意図的な税収不足によって行革を推進」と「景気を刺激し税収を増やす」の矛盾をどのように説明するのですか?



減税と寄付について考えるときも同じような疑問にぶち当たります

寄付の文化が醸成することを狙うなら、減税ではなく税額控除をしたほうが効果的だと思います。

なぜ税額控除ではなく、一律減税なのですか?


税の使い途を議会が決めるのではなく、寄付を通じた市民の選択に委ねる。
これは議会の役割を縮小するものだと思います。
税の使い途に異議や要望があれば、議会を通じて訴えていく。
このような手続きを中抜きし、直接やり取りすることを推奨するならば、
市民の声を吸い上げる議会の役割を放棄しているように感じます。

税の使い途に対する市民の声をどのように吸い上げますか?



議員は年賀状を出すことさえ、法律で禁止されています。
当選のお礼をホームページに掲載することさえ、問題があるとされています。
もちろん金品の授受には厳しい制限が設けられています。

このように多くの制約を受ける議員が、減税によって納税者の感謝を示すことは許されるのでしょうか?

納税は憲法に定められた国民の義務です。

義務を果たした市民に感謝を示すことが議員の仕事なのでしょうか

「教育を受けさせる義務」を果たしている保護者には、どのように感謝を示すのですか?

「勤労の義務」を果たしている労働者には、どのように感謝を示すのですか?
働き口が見つからす「勤労の義務」が果たせない失業者に対して、どのように「勤労の権利」を保証するのですか?


ここまで「4つの意義」に沿って疑問を呈してきましたが、市民税減税にはもっと根本的な疑問もあります。

減税の規模を市民税の10%とした根拠は何ですか?

平成21年度の決算では、年間の減税額が2万円以下の納税者が約半数を占めました(参考
この金額では引越し費用を賄うこともできません。
横井市議は決算で、超過課税を根拠に、減税が企業誘致の決め手にならないことを示しました。
人も企業も、ビジネスの環境が整った街、雇用がある街、暮らしやすい街に集まると私は考えます。
市民税10%減税で、本当に人や企業が集まるでしょうか?


仮に市民税10%減税をあてにして名古屋市にやってくる人や企業がいるとしましょう。
単に税金を嫌がる「ケチな」市民では意味がありません。

河村市長はいま、尾張名古屋共和国を一生懸命盛り上げています。
広域連合、周辺自治体との連携強化が必要だと訴えています。
反面、減税で自治体も価格競争をしなくてはいけない、とも主張しています。

財政規模が大きい名古屋市がダンピング競争を仕掛け、
周辺自治体から人や企業を横取りすることが、地域連合にどのような影響を与えるとお考えですか?


最後にお尋ねします。

税が果たしている「所得の再分配」という役割をどのようにお考えですか?

豊かになるチャンスを手にした人が先行して豊かになることで、全体の豊かさを底上げする。
高度成長期には可能だった、このような施策は、もはや通用しません。
誰が、どのよう割合で負担を背負うのか、という耳の痛い話も逃げてはいけないと思います。


長文になりました。

冒頭に述べた通り、個別の返信は期待しません。
(もちろん返信してくだされば、大変光栄です)
このメールによって、皆様の議論が深まれば、幸いです。

議論の結果については、何らかの方法でフィードバックされることを期待します。

2012年2月1日水曜日

減税日本の衆院選マニフェスト

減税日本の衆院選マニフェストを、ブレスト的に想像してみる。
ブレストなので、批判禁止です(笑)
順不同。


■河村代表は、尾張名古屋国の独立を公言していることから…
 地方自治体が国から独立することを可能に


■河村代表が、3割自治を批判していることから…
 都市部の税金が農村部や山間部へ流れることを制限


■河村代表が、守山市民病院の民営化は市民にとって良いことと発言していることから…
 公立病院を民営化


消費税1%減税
 財源は国有地の売却と公務員給与の削減?


■河村代表の待機児童対策に関する発言から…
 公立小中学校の校庭を営利企業に提供し保育施設を!


■河村代表の「市バスの事故隠し」に関する発言から…
 公務員の報酬制度は廃止


■河村代表の衆議院議員時代の発言から…
 議員宿舎は廃止。議員報酬カット。


■減税日本、山田市議がこだわる…
 指定管理者制度の抜本改革


脱原発、発送電分離


■財政規律、プライマリーバランスに基づく予選編成から…
 貯蓄投資バランスに基づく予算編成


書いていてバカバカしくなったので、この辺で。

2012年1月27日金曜日

名古屋市の予算平成過程の公開について

平成23年度も、残すところ2ヶ月ほどとなりなした。
この時期は全国の自治体で、来年との予算編成が行われていることでしょう。
名古屋でも、予算編成のニュースが目につくようになりました。

名古屋市の予算編成は、各局の予算要求 → 財務局査定 → 市長査定、の順で行われるようです。


名古屋市は「予算編成の透明性の確保と市民意見の予算への反映に関する条例」を定めています。

一部を抜粋します。
第3条 市長は、前条第1号及び第2号に定める予算について、各局からの予算要求の内容並びに財政局及び市長による査定の内容に関する情報を公開するものとする。
第3条の3情報の公開に当たっては、市民にできるだけわかりやすい内容とするほか、重点的な取組事項については、事業や施策の内容等に関して詳細な説明を加えるものとする。
第4条前条第1項及び第4項に定める情報の公開は、本市のウェブサイト等を用いて行うものとする。
これに基づいて名古屋市は、公式サイトで予算編成の課程を公開しています。
私は上記のページで公開されている内容に、不満を感じています。


1.平成23年度のページを見ると、

というリンクが並んでいます。

予算編成透明化条例 第3条は、
  • 各局からの予算要求の内容
  • 財務局による査定の内容
  • 市長による査定の内容
に関する情報を公開することを義務付けています。

であるならば、3つ目のリンクは「平成23年度予算編成過程の公開(市長案の内容)」とするのが、本来あるべき姿だと思います。


2.それぞれのページに添付されているPDFファイルには、名古屋市が実施する事業に対する予算がもれなく網羅されています。
各局の予算要求を公開する資料は、この形式で良いと思います。
しかし、査定の内容を公開する資料も、同じ形式で良いのでしょうか。

査定を織り込んだ予算案を羅列して、その理由を①~④で示す。
これで「査定の内容」が伝わるでしょうか。
査定の結果しか記載されていない、と考えるのは幼稚でしょうか。

河村市長は2011年に著書を3冊出版されました。
そんなに精力的に執筆活動をする時間があるなら、市長査定の内容を自分で執筆し、公開してほしい。
予算編成にどんな想いを込めたのか、何を重視し、何を削ったのか、市民に直接語りかけてほしい。
それこそが、市長に課された説明責任だと思います。


3.予算編成透明化条例 第3条の3「市民にできるだけわかりやすい」という条件が満たされていません。
公式サイトに掲載されたPDFファイルを、そっくりそのまま新聞に掲載して、読者が喜ぶでしょうか。

予算案のポイントを解説する資料がほしいです。

たとえば、市政記者クラブや名古屋市経営アドバイザーに協力を求め、解説書を作ってもらってはどうでしょうか。


満足な解説もなく、ただ広く薄く項目が並んでいるだけでは、結局何も伝わりません。
過ぎたるは及ばざるがごとし、です。

2011年12月8日木曜日

均等割の減額に対する河村市長の発言

平成23年11月定例会に、減税日本が提出した修正案は、均等割3000円を1000円に減免することが盛り込まれています。
2011/12/6の財政福祉委員会で共産党山口市議が、河村市長の過去の発言と整合性が取れていないと指摘しています。

そこで、平成21年12月臨時会の議事録から、市民税の均等割を100円にするという修正案に対する河村市長の発言を抜粋します。
私、こんなことが許されるかどうか本当にわからぬのです。
日本じゅうのありとあらゆる庶民が3,000円払っておるんです、頭割りで。
所得のない人でも苦しみながら。
日本じゅうのありとあらゆる市民が。
名古屋だけそれを100円にするということが本当に許されるかどうか。
私、もしこんなことが通ったら、本当に日本じゅうの国民に大変申しわけないと。
本当に大変申しわけない。
名古屋市だけ独立しておるんじゃないですから、名古屋市と日本国って助け合っているんですから。
こんなことが許されるとは私は到底思わない。
物すごい驚いています、私は。
こういう税金が成り立つのか。
そういうことです。(P.11)
私、本当に日本じゅうの方に申しわけないと思う、こんなことを決めて。
日本じゅうの人が、どんな苦しい人でも3,000円払っているんですよ。
日本じゅうの低所得者でも、みんな必死になって。
名古屋だけ100円にして、申しわけないじゃないですか、こんなの。
皆さんに危害を加えることになりますよ。
こんな恥ずかしいことはできない、本当に。
申しわけない、日本の皆さんに。(P.14)
最も健全な日本国民の皆さんは、名古屋だけ100円にすることは絶対賛成しないと思います、これは。(P.15)
均等割3,000円についても、超金持ちの方も日本じゅうの物すごい生活に苦労してみえる方もみんな3,000円払って、この日本の国を支えておるんです。
間違えんでください、これは。
3,000円は、何遍も言いますけど、日本じゅうの生活に大変苦しい人もみんな3,000円分担しているんです。
国を支えるために、市町村を支えるために。
何で名古屋だけ100円になっていいんですか。
ええかげんにしてやってくださいよ、本当に。
むちゃくちゃですよ。
とんでもないですよ、本当に。(P.18)

2011年10月24日月曜日

河村減税が抱える4つの問題

2010/10/20、余語さやか市議のブログに以下の内容が掲載されました。
他党の委員さんから出された「中学生までの通院医療費無料化など、減税しなかった分で実現できた」という意見については、「確かに(平成23年度に)減税しなかった分で実現できたと言えるかもしれないが、では減税が最初からなかったとしたら、その財源は確保できていたでしょうか」と申し上げたところ、「できていたでしょうね」というお返事でした。平成23年度も減税をするつもりであったから、その分の財源が確保できていたのであって、実際、減税なしにそれだけの財源が生み出せていたでしょうか。「できた」と言い切ることは、机上の空論でしかありません。
これに対する反論を考えているうちに、いくつか気づいたことがあります。

◆減税は行革のブレーキ
河村市長は『減税の財源はすべて行財政改革によって生み出す、行政サービスは低下させない』と公約しています。
行政サービスを低下させるような、事業の再編や統廃合を実施するのではなく、行政事務の改善や人件費の削減によって減税の財源を確保する考えなのでしょう。

もっともらしく聞こえますが、この考えには大きな矛盾が含まれています。

市民税10%を恒久的に減税するためには、毎年200億円近い財源が必要となります。
本来、それだけの財源を確保するには、それに見合った事業の再編や統廃合が実施されるべきです。

しかし、河村市長は「行政サービスは維持する」と言う。

ここに大きな矛盾があるのです。

減税を実現するには抜本的対策が必要なのに、みずからの公約がそれを阻んでしまうのです。

河村市長は、「減税は行革のエンジン」と言いますが、実際はまったく異なります。
減税は行革の足かせ、行革のブレーキとなっています。



◆減税によって生み出せる財源はゼロ
河村市長の公約は、抜本的な行革の足かせです。

行政サービスを維持する、という公約を撤回しない限り、大胆な事業の再編や統廃合を実施することはできません。
実際、行政改革の一部として提案された「保育料の値上げ」は、議会で否決されました。

事業の再編や統廃合ができないということは、それらの手法によって生み出される財源を減税に充てることができないことを意味します。

つまり、減税をする代わりに何かをやめる、何かを縮小するということができないために、減税が何かの財源になることはあり得ないのです。

そもそも、減税して市民に返してしまったら、市役所はそのお金を使うことができません。


◆減税と相殺できる事業はない
河村市長の減税は狙いがあいまいです。

本来、行政が行う事業は狙いを定めて実施されるべきです。
少子化対策とか、景気対策とか、高齢者福祉とか、特定の問題を解決するために最も効果的な方法で実施されることが重要です。

問題をはっきりされなければ、対策の効果もはっきり測定できません。

河村市長がしばしば口にする
「減税は可処分所得を増やす」
「減税によってプライスキャップをかける」
という説明は、単に、減税が惹き起す現象を表現しているに過ぎません。

重要なのは、その現象によって生じる効果です。

「可処分所得が増えることによって、消費が拡大し、景気が良くなる」
「税金の安さに惹かれて、他の自治体から人や企業が押し寄せる」
「プライスキャップによって、行革が進む」
事実に基づいてこれらを検証すると、その効果が極めて低いことが分かります。

減税はこの問題の解決に効果を発揮する、と期待できるのなら、その問題の解決にかかっていた予算を減税に巻き替えることもできるでしょう。

しかし、減税の狙いもあいまい、効果もあやふやな状態では、減税と引き換えに予算を減らせる事業など、一つもありません。


◆減税以外の歳出削減策を持っていない
そもそも『減税するつもりがなかったら財源もなかった』と、余語市議の表現そのものが大問題です。

「減税するつもり」ってなんですか?
河村市長の気持ちじゃないですか。

「河村市長は減税以外に興味がない。
 名古屋市の事業を細部にわたって検証し、問題をあぶり出し、対策を行う。
 そういうきめ細かい作業には関心がない。」
それだけのことではないですか。

「河村市長から、減税を取り上げたら、行革に対する意欲を失う。
 財源確保の努力もやめてしまうに違いない。」
そう言いたいのでしょうか?

実際、河村市長は減税の財源確保を市職員に丸投げしています。

穿った見方をすれば、行政の中身を調査し、適切な対策を取る能力が足りないのではないでしょうか?
はっきり言えば、行政能力が欠如しているのではありませんか?

「市役所には無駄がある。
 議員の給料は高い。
 市民は必要以上の税金を払わされとる。
 ワシがそれを取り返したる。」
河村市長は、ありもしない印象操作を行い、大見得を切っていると、私は感じます。


◆減税日本は公約を修正・撤回すベき
河村市長は、減税が正しい政策であると本気で信じているのなら、行政サービスを維持するという部分を公約から除くべきです。

「減税をする代わりに行政サービスの低下を受け入れてほしい」
とはっきり主張した上で民意を問うべきです。

姑息な印象操作やポピュリズムにはウンザリしています。

2011年10月21日金曜日

余語さやか市議のブログにコメント

余語さやか市議のブログ、9月定例会にコメントを残しました。
承認されるか不明なため、ログを残します。
「減税によって財源を生み出した」という主張は、正確ではありません。
正確には、マイナスシーリングが財源を生み出したのです。
減税はマイナスシーリングを正当化する理由でしかありません。
 
一つはっきりしていることは、どのようにして生み出した財源であれ、減税という形で市民に返したお金を、市役所が使うことはできません。
 
減税をやめても、市役所が施策を実施できない可能性はたしかにありました。
当初河村市長は、このお金を留保していましたから。
減税するはずのお金を市役所の中に貯めこんで、使いもしない、返しもしない、という半端な状態に陥る危険性はとても高かったと思います。
 
さすがの河村市長も、東日本大震災に直面し、吐き出さざるを得なかった、というのが実態ではありませんか?
 
日本中が危機感に包まれていて
「市役所にお金を貯め込むというやり方を許してくれそうにない」
という政治的嗅覚が働き、河村市長は渋々留保をやめたのだと私は思っています。
 
減税をしなくても財源を生み出す方法はあります。
減税を実施すれば、市役所が行う事業は減ります。
それを無視しないでください。
 
減税をやめて事業をやってみたら、市民が喜んだ。
だからと言って、それを減税の手柄みたい表現するのは卑怯です。