2011年5月12日木曜日

河村市長は、なぜ議会改革に逆行するのか

@akira_mori0120さんが、虫唾が走るもの|一名古屋人のブログで、河村市長と減税日本を批判しています。
彼らが市民に対する説明責任を果たしていないことを糾弾する内容で、大いに賛同します。

事の発端は横井市議のブログです。
記事によれば、5/10に開かれた議会運営委員会理事会で、「開かれた議会」のための予算要求に、減税日本の所属議員が「河村代表の意向だから」と反対を表明したそうです。

昨年の夏の議会の解散リコールから、市長選、市議選と、一貫して議会改革を訴えてきた河村市長が、議会改革の予算を認めない。

議会改革は選挙に勝つための方便だったのでしょうか。

議会を本気で改革するつもりはなく、議会を悪者に仕立て上げることで自分への支持を拡大するあざとい戦術だったのでしょうか。

単なる人気取りだったのでしょうか。

河村さんの議会批判・議会改革は、単なるポピュリズムだったのでしょうか。

私には、もっと根の深い問題があるように思えてなりません。
私には、河村市長が議会の弱体化・無力化を狙っているように思えるのです。

河村市長の反省や言動を熱心に見ていくと、河村さんが権力に対する強い反発心を持っていることが見えてきます。
リバタリアンは「自由」という価値を重視し、その延長として権力を否定しますが、河村さんは生理的に権力を嫌っているように見えるくらいです。

税金から給料を受け取る役人が嫌い。
公務員の給料を減らし、人員も減らし、小さな政府を作りたい。

税金から報酬を受け取る議員が嫌い。
議員の報酬が高いのは許せない。
「議員には高い専門性が必要」なんて意見は聞きたくない。
議員に高い専門性が求められる社会の仕組みがおかしい。

その考えの行き着く先が「ボランティア議員」であり、「地域委員会」であると、私は思っています。

誰でも気楽に議員になることが出来る社会。
税金から報酬を受け取る専業議員がいない社会。
それが、河村市長の理想ではないでしょうか。

「開かれた議会」とは説明責任を果たす議会ではなく、説明がいらないほど簡単で単純な議会。
予算要求を認めない背景にはこんな意図がある、と考えるのは穿った見方でしょか。

追記
現代社会は高度に発達し、複雑になっています。
言葉を尽くして説明し、合意を形成しなければ、前に進まないこともたくさんあります。

丁寧に説明すれば、納得が得られ、賛同する人が現れ、寄付が集まる。
そういう事業はNPOに任せる。
それが河村市長のスタンスだと思います。


自由を尊重するから権力が嫌いなのか、権力嫌いをカモフラージュするために自由を拝借しているのか、私には分かりません。
しかし、河村たかしという政治家は、税を徴収し再配分することより、受益者負担や自主的な寄付を優先することは間違いありません。

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