2011年5月12日木曜日

専門家の説明責任とは?

今朝、河村市長は、なぜ議会改革に逆行するのかを投稿しました。
これを見た@akira_mori0120さんから次のツイートをいただき、考え込んでしまいました。
@KojiEguchi #ngov 確かに専門家じゃなければ判らない社会なんて異常で、専門家は一般の人に判る様に説明をする責任を持っていて、一般の人に説明できない専門家はたぶん、自分でも判っていない。と言えます。市長の独自な「リチャード・クー理論の応用」はそれでしょうけど。

人類の歴史を振り返れば、社会の複雑さは何千年にもわたって増え続けてきたと思います。

最も初期の社会には、専門家がおらず、特別な説明もなく、それでもみんな必要なことは判っていたと思います。

やがて社会が複雑化し、専門家が登場すると、一般の人には判らないことが出てきます。
それでも、おおよその見当はつくし、困ったことが起きても後から説明を聞いて対処できるし、専門家に任せておいても大丈夫な社会へ移行します。

さらに社会が複雑になると、しっかり説明を聞かないとおおよその見当さえつかない社会がやってきます。
専門家は、一般の人が理解できるように説明しなければ、仕事を任せてもらえません。
自分の専門性を発揮し、成果を上げ、生活を営んでいくには、説明責任を果たすことが義務となります。


今よりもっと社会が複雑になったら、一体どうなるのでしょう?

複雑さに対する揺り戻しが起きて、社会の複雑さが減り、特別な説明がなくても見当がつく社会へ戻るのでしょうか?
なんだか人類の進歩に逆行しそうです。

それとも、説明責任を果たせない専門家は淘汰され、説明責任を果たせる専門家だけが残るのでしょうか?
口がうまいだけ、口数が多いだけ、メディア受けが良いだけのインチキ専門家がはびこることが心配です。

はたまた、説明責任を果たすための方法論やツールが確立され、専門家を正しく評価できるようになるのでしょうか?
私としては、これが最も良い方法であると思います。

専門家でさえ説明することができないほど、混沌とした社会になるのは嫌です。

1 件のコメント:

ながの さんのコメント...

A+B=A+B+αが専門家の知恵であり知識であって
単に説明するだけなら専門家ではない
解説家でいいじゃんね